はい、おやびんです。
割りと特異な高校生活を送ってきた私ですが、男子校だったのもあり割と武闘派の友達も多かったです。
クラスの半分以上が極真空手を学んでいて、インドアオタクの私は漫画に出てくる様な練習台されていました。
流石に毎日挨拶代わりの練習台はキツイので、私も何かを学ぶことしましたが自分から攻めるのは性に合わないため護身術として合気道を学ぶことにしました。
女性が多そうとの下心も少しあったのですが、学びに行った先の先生が合気道らしからぬゴリゴリの武闘派で門下生も空手出身の方が多く大変厳しくもまれました。
おかげで高校生活はそこから練習台にされることなく無事に卒業する事になるのですが卒業し大学へ進学した私はゴリゴリの武闘派になっていました。
有段こそ取らなかったのですが当時K-1で有名正道会館で汗を流してました。
大学では今では結構有名な大学に進学したのですが、昼間は仕事をしながら夜間に大学へ通う事になりました。
昼間はビルの窓からロープ一本で壁をつたい防水と塗り替えを行う防水職人として活躍していました。
昼間は夏の暑さに耐え目も眩むような高い場所から体一つで塗り替えをしていきます。
体力はあった私ですが学校に着く時はガス欠状態で授業を受けていました。
当然主席で卒業と言うわけにはいかず苦労しながら社会に出る事になります。
今から考えると、その当時の大学は大らかで在籍している教授も一癖も二癖あるひとばかりでした。
よくある試験の話で、試験の解答が分からなければとにかく文字で埋める。
それがカレーの作り方でも・・・
先生に気に入れると良い点が貰えると噂話がありました。
そんなアホなって思ってましたが、大事な試験の時にPKOとは何の略か?
という問題がでてきました。
正解はピースキーピングオペレーション国連平和維持活動なのですが
その当時はまったく分からず、その先生が阪神フアンだったので超絶苦し紛れに
Pパチョレック K亀山 Oオマリー 3打線爆発で阪神優勝で関西の経済が一時的な上がる事を言うとテスト用紙に書き込みました。
流石に今シーズンは留年かとおもいきや及第点を頂きました。
まさか通るとは思って無かったのでこちらもビックリ。
いまではこんな事は起こる事も無いでしょうが昭和という時代だったんですよね。
このころからは何かと積極的に活動する様になりインドアオタクだった私がアクティブに
活動するようになってきます。
時代もバブルが盛んだったこともあり、華やかで個性的な時代だったんですよね。