はい、おやびんです。
私のに勤めてる会社は磁石と言う母材を使って、いろいろなものを開発したり、量産したりするのが得意な会社です。
ものづくりの街東大阪の中小企業の中では、割と大きい50人以上の会社です。
そこに勤めて新事業開発としてエンドユーザー向けの商品を開発販売の仕事をしていました。
勤めて18年にもなるんですよね。
そんな会社になぜ入ったのかと言うと、親がやっていた家業だからです。
私の父親は、東大阪市内では、割と有名な名主だったのです。
昔はそんな父親に反発をして、自分1人で何かできると思い込んで、躍起になって活動していたのですが、それが全くうまくいかず挫折に挫折の日々でした。
その中で大いなる逃避、自分探しの旅日本1周に向かうことになったのです。
そこで多くの経験を積んだ私は近鉄ケーブルテレビで営業の仕事をするようになります。
直接会って話をする営業に、その時の私は向いていたのかもしれません。
「こんにちは近鉄ケーブルです、この地域に新しくテレビ用の配線工事を行いましたので、ご挨拶と説明に回っております」
と挨拶をしてから訪問説明の営業が始まります。
新地域担当の私だったのですが、それはもうこんなとこ人がいてるのかよと思う位。田舎の場所に配線が回っていたり、絶対ヤクザの事務所やんて言うところで、恐る恐る訪問したりと刺激的な毎日を過ごすようになります。
そこで働く喜びを再度実感するようになります。
気に入ってた仕事ではあったのですが、父親と長男が今の会社に私が必要だと言うことで呼び戻されたのです。
正直あまり私は乗り気じゃありませんでした。
磁石業界はしがらみも多く、狭い世界なので、色々と気を使うことも多いのです。
血筋だけの派閥争いなんてまっぴらごめんです。
兄と私は性格が違うので、兄をよしとする人は、私をよしとする人で摩擦を起こる可能性があるのではないかと思ったからです。
そんなのめんどくさい。
そう思っていたのですが、兄が私を必要だと言うことを熱心に話しかけてくるので、私が折れた形で新しい会社に入社することになったのです。
いろいろやってきた私ですが、なかなかマニアックな世界磁石の仕事は大変でした。
特に磁石と言う母材は、切り口が広くいろんなものを開発することにチャレンジできるのですが、それをたくさん販売成果を上げるとはまた別の話です。
新規事業開発として商品の開発からクラウドファンディングの成功までそしてそれをネットで販売するなど挑戦してきましたが、これも紆余曲折があり成功したところ失敗したところ山あり谷ありの18年でした。
そんな私もあと5年で還暦の60歳で定年を迎えます。
定年後に会社に残れる可能性は低いと思われるの
新しい転機をもう目の前にして新たに準備を重ねるタイミングが来たのかもしれませんね。