はい、おやびんです。
生きていれば何かとあるもんです。
今日は座右の銘を考えてみたいです。
カッコの良い座右の銘は心に響きます。

例えば
これはその人どう生きたかを魅せている事で座右の銘として映えるんでしょうね。
私が行っても映えないでしょう。
その人人にあった座右の銘があって自分で考え出た言葉が座右の銘だと思っています。
あった事が無い偉人の声より親の言葉が響く、ただそれに気が付いていないだけ。
私の周りには偉人は居ませんが尊敬できる人はたくさんいています。
普通に話し笑いながらも感心する様な事を平気で言ってきます。
その都度、関心したり自分と照らし合わせて落ち込んだりします。
この人はそう考えに至るまでどれくらいの研鑽を続けて来たのか?
そう考えると自分がちっぽけな存在で嫌になってきます。
ですが武道の先生からこう言われたのが思い出します。
其の事をはずかしく思う事は恥ではない、その瞬間があなたを強くしているのだ。
強い人でも成長をしない人は強いままでは居られず弱く見えてしまう。
自分が強いと思い込んでいる人はその場で立ち止まり、弱いと感じている人は等良くなりたい思い前に進む。
弱い人一歩は遅いかも知らないが確実に前に進む。
強くなるために大事な事は自分の弱さを認める事。
それが修練への一歩なんですよ。
それが先生から教えて頂いたキーワード。
そこから何度、練習して練習をしが中々と強くならない。
そのうち心が折れそうになる時が何度も来ます。
が、ある日大きな成功を収める事になります。
ものすごく嬉しかったが勝った理由が解らない。
そして先生に聴いてみた。
先生は笑いながら諦めなかったからですよと話されたのですがなにか物足らない感じ。
それから数年してから思い出してみてある時フッと思い出して気が付いたんです。
先生が言われた様に強くなるとは
自分自身の弱さを認める事、その弱さを認めた時に自分の可能性を信じる事。
あ~これがしっくりくる。
自分の弱さを認めただけでは後ろ向きになってしまう。
なんども失敗する事はエネルギーのいる事です。
必要ならば方向転換したりしても良いのですがどの方向であれ、自分の可能性を信じないと前に進めない。
それが良く分かったのです。
今でもくじける時、悩む時にはこの言葉を口に出します。
弱さを認める事は恥ずかしいが苦ではない、しかしそこから自分自身の可能性を信じるのは難しいです。
だからこそ強くなったんだと思います。
ですがそこで満足すれば弱いまま。
自分自身の弱さを認める事、その弱さを認めた時に自分の可能性を信じる事。
これが私の座右の銘